誕生日 友も一緒に 歳重ね (息子のガールフレンドの大切なママが今日誕生日。 親たちはプレゼント交換無しで電話で祝福を。 お互いに子供のために1日も長く元気でいよう、おめでとうとありがとうが飛び交う幸せ。) 神様に 寂しさ伝え 祈る朝 (早朝に目が覚め今日も一人。 神様に私の老後にこんなに寂しい日... 続きをみる
夫の病気のブログ記事
夫の病気(ムラゴンブログ全体)-
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創世記 2章 21節 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、 あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。 22節 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。 24節 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 51年前にジュン... 続きをみる
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イザヤ書25章8節 死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい/ 御自分の民の恥を/地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。 夫が亡くなって少しづつ認めざるをえない状況だけどまだまだ越えなければならない山が ある。夫がいない寂しさに心が落ち着かなかったり問... 続きをみる
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エレミヤ書29章11節 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。 それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 夫が呼吸器科を退院した。担当医との面談で出来るだけ早く退院を希望と伝え足の筋力が これ以上弱ったら困ることや息子も帰宅... 続きをみる
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12日午前1時、夫が入院、酸素ボンベの生活へと景色が変わった。
マタイによる福音書16章24節 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、 自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 年末年始は夫、私、息子の3人がのんびり自宅で過ごすことが出来て息子は仕事始めにも 出かけ2020年が始まった。ですが夫は年末あたりから息苦しさが増し... 続きをみる
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息子が今、自宅にいる。帰れないかも?と嘆いた夜もあったけど。
マルコ11章24節 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。 そうすれば、そのとおりになる。 息子は27日で通所仕事納め。28日に自宅に戻り1月5日まで冬休み。いつもは息子が共に いることを当たり前のように思っていたけど今回は帰ってきてくれるようにと、どんなに 待ちわび... 続きをみる
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息子、ようやくシャワーも可、食事も普通食へと。夫は1月からデイケアかな。
イザヤ書41章10節 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。 勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。 ずっとブログ更新できなかった。お祈りをして下さった皆様、ありがとうございます。 息子のことはホームにお願いし本当に大変な時に看護師... 続きをみる
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イザヤ43章19節 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを 悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。 夫は囲碁が好きで毎年1月に東日本大学OBOG会の大会があり楽しみにしていたけども 夏に心臓弁膜症手術をすることになり、間質性肺炎も見つ... 続きをみる
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夫の心臓手術は終り5日に退院。息子は再入院で胆嚢摘出手術へと。
詩編46章2節 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。 29日に夫はTAVIで心臓手術をし5日に退院決定。歩行のリハビリがあり介護保険申請し 12月に審査員が訪問で1月に介護度が決まりサービスが受けられる。退院後はリハビリ 病院か自宅か?夫は自... 続きをみる
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マルコ11章24節 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。 そうすれば、そのとおりになる。 息子はすべて管が外れてもリハビリ病院への転院先が見つからず時だけが過ぎていった。 いつも眠そうで希望のないような息子に何もできずただ神様に祈りすがるしかなかった。 グループホー... 続きをみる
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詩編34章20節 主に従う人には災いが重なるが/主はそのすべてから救い出し 息子が高熱を出し解熱剤で下がったのもつかの間、熱が上がり病院での診察をとのことで 即入院で10月3日に結石の内視鏡手術をしました。3か所から穴をあけて取り除き入院は 1週間くらいとのことでした。15日には退院予定となったけ... 続きをみる
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ペテロの手紙一 5章7節 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。 神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。アーメン。 この所、夜中に目が覚めてしまう。息子が帰宅していて3人で食卓を囲むけど夫はすぐに 食べようとはしない。じいっと考え込むようにしている。食欲を置き忘れたと言うけど ... 続きをみる
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15節 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。 その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。 イエス様は病を持つ多くの人たちを癒された。生まれつきの盲人も、誰かが悪いのでは なく神様のみ業が現れるためと言われどんなにうれしかったかと。息子も多くの病いを ... 続きをみる
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マタイによる福音書 11章28節 疲れた者は来なさい。休ませてあげよう。
28節 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 高齢者祝福合同礼拝で、幼稚科や教会学校のお子たちと共に礼拝をお捧げしました。 96歳になられた姉妹が入院中ですが牧師先生がお見舞いに伺い祈った時にアーメンと 大きな声で言われたり、握手も力強く握ってくださったこ... 続きをみる
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5節 あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい 闘病中の夫は未だに食欲が戻らず、時には体重がまた減ったんだし診てもらおうよと 言ってもおかゆを食べてるから大丈夫と言い、無理に連れて行けず祈るだけの日々。 今までここまでやせたことはないのに等と、不安を抱えながら礼拝に出席しました。 いつもなら... 続きをみる
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ヤコブの手紙 4章12節 隣人を裁くあなたは、いったい何者か。
12節 律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも 滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。 この箇所はいつも自分を戒めるために思い返している。イエス様は右の頬を打つなら 左の頬をも向けなさい。復讐してはならない。裁かれるのは神様お一人... 続きをみる
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25節 同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から 送り出してやるという行いによって、義とされたではありませんか。 アブラハムは神を信じ、彼の義と認められたと書いているように娼婦のラハブも 自分の身の危険を省みず使いの者たちを匿い逃がしたのです。神様の御目には その人の社会的... 続きをみる
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2節 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、 この上ない喜びと思いなさい。 神様はいつも祈りの課題を前に置いてくださる。まだ課題が解決していない時も 休む間もなく海辺の波のようにやってくる。神様に愛されてるからと気づいた。 自分ではどうしようもない問題に神様を頼り祈る時、主への信頼と忍... 続きをみる
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詩編46章2節 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
詩編46章2節 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。アーメン。 7月1日から孫3名が帰省、12日から娘夫婦も到着し8人家族で過ごしていました。 夫が下旬ころから食欲が落ちて息苦しい気がするとのこと。ちょうど同じころ 息子がホームで体中、痒がり... 続きをみる
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11節 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく悲しいものと思われるのですが 後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 天のみ国に帰るまで神様は愛する者たちに試練をお与えになり自我が砕かれ狭き門から 入れるようにして下さいます。悲しみや苦しみの中を自... 続きをみる
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ヘブライ人への手紙 11章3節 世界が神の言葉によって創造され、
3節 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、 従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。 今、生きているこの世界は神様のみ言葉によって創られました。青い空や広い海、太陽や 月も星も私達さえも鳥や魚、動植物もすべてが神様のみ言葉から「光あ... 続きをみる
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ヘブライ人への手紙 3章8節 心をかたくなにしてはならない。
8節 荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、 心をかたくなにしてはならない。 エジプトでは肉やパンを食べられたのに荒れ野に連れ出し飢え死にさせようとしている。 カナンの地に帰れると喜んだのもつかの間、こんなことならエジプトの方がと不平不満を 言い始めたのです。イスラエルの民らはモーセ... 続きをみる
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3節 わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽の とりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。 神様を受け入れる前の自分は人と比べて何で自分はと僻んでみたり親切に声をかけられて 「大変ね、頑張ってね」と言われてもそのままを素直に受け止... 続きをみる
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9節 この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように 鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。 テモテに私の子よ、強くなりなさい、共に苦しみを忍びなさいとパウロは呼びかける。 自分は鎖につながれているけれども、どんな時にも神様のみ言葉の恵みは支え続けて 励ましてくだ... 続きをみる
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25節 同じように、良い行いも明白です。 そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。 善い行いは誰の眼にもわかる、その時にはわからなくても光に出されて周りの人たちも 気付くようになる。良くない行いの場合、本人が隠そうとしていても神様の御前に隠す 事はできない。神様はすべてをご存じなので、悪... 続きをみる
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10節 わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である 生ける神に希望を置いているからです。 パウロは労苦し奮闘しても絶望せず希望を持ち続けるのは真の神様を信じる信仰ゆえと 言っている。罪ある者のためにイエス様は十字架に架かられ死から復活され今も生きて 皆と共におられる... 続きをみる