テトスへの手紙 3章3節 無分別で、不従順で、道に迷い、
3節
わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽の
とりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。
神様を受け入れる前の自分は人と比べて何で自分はと僻んでみたり親切に声をかけられて
「大変ね、頑張ってね」と言われてもそのままを素直に受け止める心さえ持たなかった。
試練の中で時を経て、神様に降参して神様に救われてからの自分は、清めていただく中で
息子が神のみ業を現すため生まれたことを知る。神様の憐れみにより今の平安な生活が。
以前は神様を必要としていなかった。親の保護の元、自分で勝手気ままに生きてこのまま
謳歌できると気楽に考えていた。我儘な世間知らずで愚かな者のままだったのではとも。
息子を与えられ、人生は自分の思うようにはならないことを知った。神様は忍耐をもって
私が戸を開けるのを待ち続けてくださった。人生の幸せは神様と出会うこと、ここだけ。
救いに預かった今も神様に愛され次々に祈りの課題をお与えになられるので祈らない日は
ない。いつも神様を必要とし神様を見上げているようにと神様のご配慮、ご愛を感じる。
御前に鎮まり祈っていると神様はいつも解決策をお見せくださる。思いがけない方法で。
今週は水曜日と金曜日に歯科で夫の入れ歯仮合わせをしてきました。グラついている歯は
寝ている時に飲みこんだら誤嚥性肺炎になるといけないからと言っても自然に抜けるまで
待つと言い張ってた夫。歯科の先生はご本人に任せよう、年内には抜けますよと言われて
いました。神様は心臓の病を与えられ手術時にはグラつき歯は危険なので急遽抜糸へと。
私は歳を重ねてきたからか、時々夜中に目が覚めることがあります。暗闇の中でそんな時
夫の心臓の手術が浮かんできます。「私には神様がいてくださる。いつも最善となる」と
いうところに戻れて神様に祈り、不安は消え去り委ねよと言う神様のみ声をいただける。
今日は教会でチャペルコンサート、初めて教会に来られる方にみ声が届きますように。
教会の扉はいつも開いています。哀しみの中におられる方や孤独の中でおつらい方など、
どうぞ扉を開けてお入りください。神様が喜んでお迎えくださいます。アーメン。
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