川柳 夕飯を 食べさせるにも 勘鈍る
息子のホームで夕飯の介助をしてみたが2021年11月からコロナ禍で自宅に帰らず
自分が食べさせたのは暮れとお正月の昼食だけ。「夕食を食べさせてくれる?」
先日世話人さんに頼まれ嬉しくなり、始めたが刻み食で食べさすのに緊張した。
刻み食も細かくなっていた。有りがたいなあと感謝しかなかった。がんばるぞ!
うれしくていい返事をした。小さなお椀にひとさじくらいのおかずをいれてみて
渡したらすぐ食べてまたお椀を差し出す。なんだかうれしそうとみんなが言った。
私もこんなにしてもらってるんだと改めて思った。男性スタッフすばらしい。
老人ホームで働いていらしたとか。奥様お幸せねと言ったら家ではしないとか。
心があったかくなった、息子幸せだなあと。ふと思ったら以前は息子の食事の時
世話人さんでなく他の人が付いて看てくれた。食事中喉に詰まらせる危険もあり。
今度聞いてみることにした、食事中一人付いていてくださっていたけどと。でも
人手が足りないのかもしれないしと迷う。夕食だけでもいてくれた方がいいかな。
神様に祈ります。飲み込むまでの心配も委ねます。すべてお委ねして感謝し祈ります。
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