ヤコブの手紙 5章15節 祈りは、病人を救い、
15節
信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。
その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。
イエス様は病を持つ多くの人たちを癒された。生まれつきの盲人も、誰かが悪いのでは
なく神様のみ業が現れるためと言われどんなにうれしかったかと。息子も多くの病いを
もって生まれ子供のころから病いは次々に今も途切れず。体は不自由ですが息子の心は
清く神様に喜ばれる。息子はいつも神様の救いの中に置かれ病の時も励ましてくれる。
イエス様は弱い人の味方。病気で苦しむ人や体の不自由な人と共にいて癒されるお方。
昨日は夫は何とか食欲を取り戻したいのでホームドクターに行ってみる、とでかけた。
このところ朝食は果物少々とヨーグルトがやっと。昼食時間になると少しは元気もでて
食べ始める状況。先生は「精神科にいってみますか?高齢になるとうつ状態になる人も
いるので一度行ってみるのもいいかも」。夫はもうちょっと様子を見て考えてみると。
今日は10月下旬に受けるTAVI手術のための検査や入院手続きの話などで病院に行った。
病院は何で混むんだろうと思うほどに午後からの予約でも駐車場待ちで建物一周待ち。
やっと循環器科にたどり着き、ここでまた1時間ほど待ちながら先生は昼休みも取れず
激務なんだなあと思った。手術の危険性もお聞きしペースメーカーになる場合も有り。
他にもいろいろな例を挙げて伝えられました。息子が手術を受けた時にも最悪の場合も
あることを伺っているので、それを承知の上で手術に臨みます。帰宅後、疲れてた夫が
「神様に祈ろう」と言い祈り始めました。神様に降参して祈るしかないと思ったこと。
「神様に委ねます、アーメン」とかすれた声ですがはっきり聞こえました。主よ感謝。
神様、夫に病いをお与え下さりありがとうございます。神様に心を向けるためだったと
今、分かりました。夫が自分の努力や今まで培ってきた知恵では解決の道が見つからず
やっと心から神様を求めました。私は夫の苦しみをそばで見て「食べて」と無理難題で
苦しめた張本人。お赦しください。神様のご計画には無駄は一つもない。アーメン。
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