1テモテへの手紙 4章10節 生ける神に希望を
10節
わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である
生ける神に希望を置いているからです。
パウロは労苦し奮闘しても絶望せず希望を持ち続けるのは真の神様を信じる信仰ゆえと
言っている。罪ある者のためにイエス様は十字架に架かられ死から復活され今も生きて
皆と共におられる。地上の歩みには苦しみが伴い惨めな弱い者だと認めて神様に救いを
求める時決して消えない確かな希望を神様にいただける。暗闇から光の中へ置かれます。
昨日夫と大動脈弁狭窄症の診断を報告に内科を訪ねました。診察室に入った途端に先生の
方から「手術日、決まった?」とのこと。受けないとの夫に自分の患者さんで同じように
受けないと言い続けた人が胸が苦しくなり手術を受けたいと言ってきた時には手術をする
こともできないほど心臓が弱って、結局苦しみつつ亡くなったとのことを話されました。
高齢だから胸を開くのでなくカテーテルを使う手術がいいと思うとアドバイスをいただき
信頼している先生の勧めに手術を受ける決心をしました。祈りを聞いてくださる神様に
感謝しかない。強く勧めたかったけど万一うまくいかなかったらと躊躇もあり祈るしか
出来なかった、でも祈ることはできた。祈り続けた。生ける神様に希望を置いたのです。
日曜礼拝に教会に行き師先生と奥様姉妹にお祈りのお願いをしたり、親しい姉妹方にも
お願いしました。神の家族の執り成しの祈りは勇気と力をもらえる。信仰を持ちほんとに
よかった、天上でも恩師や先輩兄姉が共に祈っておられると信じます。礼拝でもみ言葉に
より慰めと励ましをいただき平安な落ち着いた日々を過ごさせてくださる、神様の恵み!
どんなに医学が進歩している時代でも肉体が永遠に生き続けるのは不可能。どんなに
お金を積んでも誰も永遠の命は手にできない。神様に造っていただいた肉体は滅びる。
でも肉体は朽ちるとも、神様の御手の中にある永遠の命だけは文字の通り永遠です。
地上の一時の別れもゴールは同じ。天国での再会があります、ここに希望があるのです。
哀しみの中におられる方、孤独の中におられる方の上に神様のみ声が届きますように。
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