ガラテヤの信徒への手紙 2章21節 神の恵みを無にはしません。
21節
わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、
それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
パウロはイエス様が自分の罪のために十字架に架かられて、贖いの死を遂げられたことを
知りました。自分の努力や行いで救いに預かるというのではない。神様の一方的なご愛を
受け入れる事ができるというのが大切なことと信じたのです。この世的には頑張り努力し
結果を出して認められる。でもイエス様はそのままで私の所に来なさいと言われる。何も
求めることなく招かれる。神様、イエス様にお委ねし喜んで恵みを抱え主を讃美したい。
息子の通う施設では月に2回、音楽療法で2名の先生に来てもらい希望者は受けることが
できます。息子はもう20年近く受け続け今は3人1組で密度濃く色んな楽器の音を楽しみ
生き生きした表情を見せてくれています。子供たちが緊張してしまうといけないので直接
親たちが部屋に入らず、年一回保護者会があり3人の様子をビデオで見せてもらいます。
始めの頃は息子はじっと椅子に座っているとかタンバリンなど楽器も音を出せず先生方も
忍耐強く働きかけてくださって少しづつ座る時間も伸びて今は落ち着いて座っています。
ダンス?などもあったり、順番に音を出していくなどもちゃんと待って自分の番になると
先生に促されて楽器を鳴らしたりしてます。他のお二人は歌を歌ったりもされています。
その子に合う指導の下に誰もがゆったりした雰囲気を醸し出し音楽に合わせリズムをとり
普段の生活とかけ離れた贅沢な音楽の時間、みせてもらう親たちも心休まるひと時です。
自宅でも息子も讃美歌が好きで私も讃美歌を歌ったりCDを聞いたりしていますが心が
安らぎ癒されます。神様が下さる音楽の楽しみ、息子の成長にも励まされ帰宅しました。
夫は今日はレドモンド9段の囲碁会があって出かけていきました。囲碁も神様がお造りに
なられたゲームと喜んでいます。確かに数えきれない囲碁の試合で全く同じ棋譜は一つも
ないというのは不思議。私も若い頃は囲碁を楽しみましたが息子が生まれて囲碁も辞めて
初段停まりです。でもイエス様により神の恵みの中に入れていただき人生悔いなしです!
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