娘を頼っていたとは。
詩編118章8節
人間に頼らず、主を避けどころとしよう。
コロナウイルスがなければ今ごろは孫たち3人が夏休みなので先に我が家にきてるはず。
スカイプでも今年はどこにも行けないとぼやいていた。パパがドイツ国内で旅行にでも
行こうか、車だよと提案したら即決まり19日に出て26日に帰宅で行くとメールがきた。
パパの携帯番号がありパソコン持っていくけど繋がるかわからないけどと書いてあった。
夫がいた時も娘一家が冬休みに旅行に出かけていたけど携帯番号なども言ってこないし
私だけになったから気になったのかなと思った。娘は普段は毎日メールに元気?などと
書いてきて私も簡単メールを出して気にしていなかったけど、夫のいない今は寂しさが
残った。メールが1週間こないんだと。心のどこかで娘に頼っていた自分がいたのです。
自分では名義変更や成年後見人を頼んだり市役所の手続きやら取り寄せる謄本等なども
迷いながらも時に税理士さんに伺いつつこなし、今も夫の山ほどあるバインダー整理も
しつつ、あとは相続手続きだけというところにきたのでやればできるなあんて思って
いました。息子のホームからの帰宅も土日2泊3日受け入れでこなしてきてるしなんて。
夫に「娘一家は旅行だって。メールも1週間こないみたい、寂しいよね」と呟いたら夫は
笑顔で応えていました。夫の遺影の上の木彫りに「すべてのことについて感謝しなさい」
と書かれてる。今度のことも感謝なんだと思った時に主を避けどころにというみ言葉が
浮かんだのです。私にはイエス様がいてくださる。ここに希望が待っていてくれました。
先ほど娘からショートメールが来て「これから出かける」とのことでした。気にかけて
くれてることに感謝でいっぱいでした。みんなで楽しんできてほしい、と祈りました。
いつも神様と夫が支えてくれています。幸せです。1週間、あっという間です。(笑)。
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