息子も慰められていた、笑顔でわかった!
コリントの信徒への手紙二 1章4節
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神から
いただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
息子が土曜日に帰ってきて今日は出かけていきました。2か月ぶりに帰ってきたのにと
なんだか寂しかった。息子がいるだけで話し相手になって慰めてくれていたと気づいた。
返事では返ってこないけど目は合うし笑顔と笑い声で癒されていた。でも食事の時など
金曜に下拵えしていても刻み食にしていくのにバタバタして2か月のブランクを感じた。
入浴なども湯舟に入る時に転ばせないようにとか、手すりも2か所ありここを持って等と
声掛けして支えました。健も久しぶりだからか私が緊張してるのを感じたのか自分でも
用心深くしていましたがお湯につかったら気持ちよさそうにして足をあげてみたりして
お風呂を楽しんでいました。ほっとした。焦らずに戻れる、大丈夫だと自信もついた。
父や母を天に送った時は寂しいなあと言えば夫が慰めてくれていたし乗り越えることも
気が付いたら受け入れていた。夫の時は体が半分もぎ取られた気がした。夫が身を持って
死とはこういうものと教えてくれていた気がした。天国に先に逝くけれど健を頼むよと。
息子が出かけまた一人暮らしに戻った。土曜日が今から待ち遠しい子離れできぬ母です。
実は私は悩んでいたのです。息子が夫の遺影を全く見ないので「お父さんにおはようって
言おうよ」と写真を指差しても見ないし、いないとわかっているのかなあと不安でした。
お父さんは死んだと、哀しみを訴えたり出来ず苦しんでいるのではと。でもイエス様が
そんなことはなさらない、支え慰めてくださってると気づいた。息子の笑顔を見てから。
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