人生の節目なのかも。
ヤコブの手紙 5章16節
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。
正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。
コロナウイルスのこともあって高齢の方々は礼拝を休む方もおられます。私は息子帰宅で
礼拝に伺えない状況で、息子が通所に出かけた時にちょっと教会へ伺い週報ボックスから
週報その他をいただいてきます。ご近所の姉妹たちにもついでにお届けできるので持って
行きました。牧師先生が週報を取りに来た時に寄ってくれたら共に祈れるよとメールが。
そうだ、私も姉妹に会ってお渡しするからその時に共に祈れるじゃないか、と気づいた。
弱さを分かち合って互いのために祈り合う時、主からの癒しと慰めの恵みをいただける。
主への祈りを共有できることはうれしい。相手のために具体的に祈ることで共に繋がる。
そして礼拝に行けない時も神の家族として共に歩める幸いの手ごたえを肌で感じた気が。
息子が土日の帰宅を終えて明日ホームに戻ります。後見人を受けてくださる弁護士さんと
メールのやり取りをしながら息子の生活の部分が少しづつ移っていくことを感じていた。
お母さんがさびしくなられるのではと心配してくださったけどいつまでも付き添ってやる
ことはできない。私が動ける間に息子のバトンをしっかり渡したい、それが今なのだと。
子供が大きくなり結婚して家を出ていく時もよかったねと幸を祈り送り出す時に寂しさも
あった。息子も本格的に独り立ちしていく時期なんだ。親もいつまでも生きられないし。
それに後見人がついても息子自身の生活は今までと変わらないし土日に実家に帰ることも
私の体力気力次第だ。息子を支えてくださる方と出会えたことは神様の憐みに感謝のみ。
夫を見送り、そのあとには息子も後見人の先生にお預けし私の人生の節目の時なのかも。
今まではまず家族のことが第一優先だったけど、これからは私ファーストが増えるかな。
そう思うとちょっと楽しみも。夫が囲碁と数学に夢中だったから私も好きなことを何か
やっていこう。この頃夜中に目覚めることも少なくなってきた。夫も安心してるかな?
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