息子が通所 仕事始めに行けた!母は胸いっぱい。
箴言16章9節 人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。
6日は息子の通所の仕事始めでした。息子と一緒に3カ月ぶりに自宅から通所へ行くので
嬉しさにワクワクしていました。もしかしてもう行けないのでは等と思った時もあったり
息子をもう一度復帰させてほしいと祈っていたりの日々でした。神様がこんな日を用意し
備えてくださっていたのでした。私にとってもお仲間やスタッフのいる大切な場所です。
息子と玄関に向かいながら「ただいまあ」と言いたいような懐かしさとほっとした思いで
いっぱいでした。年末に久しぶりにイブ礼拝に集わせていただいた時に教会で感じたのと
同じような感覚でした。息子にとっても私にとっても安心していられる憩いの場所です。
障害を持つ子と親を抱えてくださっている神様のご愛がここにも備わっているのだと。
知的障害者施設で入所者19人が亡くなられた事件で、障害者差別が今もまだあること。
命の重さはみな同じといいつつも弱者にとってはイエス様の時代とあまり変わらない?
またお金さえあれば海外に逃げて罪に縛られず自由気ままに生きることも可能だという
ニュースもあり大切な何かを見失ってるのではと思わずにいられない、流されたくない。
普段はあまり考えていなかったけど、息子と共に生きている中で外に出ると何気に気を
使っているのかもしれないと思ったのです。一昔前まだ息子が小さかった頃に比べると
パラリンピックや24時間TVなど障害や病いの中で頑張ってる方々が出て来られて理解も
広がってるかなとも思うけど、通所やGホームや教会でのホッとした安心感はまだない。
イエス様はいつも弱い人たち、幼な子や高齢の人、貧しい人や病の人などに寄り添って
ご愛を注いでくださっていた。そして今もいつも、困難な人達の傍にいてくださいます。
誰もが生まれてきてよかった、生きてきてよかったと言える社会になっていったらと
願っています。最重度の重複障害を持つ息子の周りに主が愛ある方々を備えてくださる。
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