1テモテへの手紙 6章7節 何も持たずに世に生まれ
7節
なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って
行くことができないからです。
母の胎にいる時も誕生後も今も自分の物は何も無い中で、すべて神様に養われました。
振り返れば家族も友も、そして何より大切な決して消えない信仰を頂いていたのです。
歩む中で試練も備えられ自分の惨めさ弱さを認めて、助けを求めた時に神様に頂いた
永遠の命に包まれ、身許へ帰ることを赦されます。イエス様の十字架の贖いゆえです。
詩編23編「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。」アーメン
先日、ホームに入居されてる先輩姉をお訪ねし1時間ほどでと思っていたけど3時半まで
私は大丈夫なのよと言われたので嬉しくなってイエス様を真ん中に良きお交わりの時を
いただいてきました。言葉が通じ合う、わかりあえる、イエス様がとりもって下さって
あっという間の2時間。神様に祈り感謝して委ねられてる穏やかな笑顔がステキでした。
金曜は久しぶりに夫と共に水中歩行をしてきました。手術を受けるためにも体力をつけ
無理のない運動をと言われ今まで通りに毎朝TVでのラジオ体操も続けています。帰りに
和食ランチを楽しむゆとりも出てきて祈りつつ乗り越えていこうと主に感謝しました。
心臓の手術をふと思うと不安もあるけどここは神様の出番と祈れるので立ち直れます。
息子も一緒に土日を過ごせる幸せ、穏やかな笑顔を見せてくれている、それだけで十分。
足の痛みもすっかりとれて、何かにつかまらずに室内を歩いて居る姿に神様のお癒しを
思わずにいられません。今日の聖日礼拝にも私だけですが家族代表で預かることができ
礼拝堂で神の家族と共に賛美と祈りをお捧げしてくることができました。ホッとします。
神さまを知らなかった頃の自分を思う時、色んな心配事が起きてたらどうなっていたか
想像するのも怖いです。今、哀しみやつらさや問題を抱えておられる方の上に神様から
「疲れたらおいで」との御声が届きますようにお祈りしています。神様は戸の外に立ち
扉が開くのを待っておられる。よかったらご近所の教会の扉、開けてみてくださいね。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。