48年目に、負い目からの解放。
ペテロの手紙一 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、
神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
6月末に後見人さんと息子の初顔合わせがありました。息子が通う施設にご一緒に行き
ご挨拶し息子のグループの部屋のお仲間に会ってもらいました。息子はみなに注目され
照れていたとか。月に1回くらい会いに来たいけどとOさんがお聞きし電話をいただき
館内に居る日をお知らせしますとのことでOKで。みなさん優しいと喜ばれてました。
夕方は4時半にグループホームにOさんとご挨拶に。先に事務所でご挨拶しお話の後に、
ホームに移りお風呂上がりの息子と再会しましたがOさんを覚えていて笑顔で見つめて
うれしそうでした。「また会ったね」と言いたかったかな。個室も見てもらいました。
大きくした家族の写真なども掛けてあり息子作のビーズ暖簾も見ておられていました。
リビングでOさんは息子と向かい合い、互いに笑顔でした。その日のメールに「存分に
癒やしていただき私にとっても一生忘れられない大切な日になりました。たくさんいる
弁護士から私を選んでくださり素敵な出会いを作ってくださりありがとうございます」
とのこと。私は今回、息子は癒しの賜物を神様にいただいてると確信できたのです。
息子が障害を持って生まれたのは神様の御業を現わすためと書かれているしそう思って
いましたが、神様はそれだけでなく一人一人すべての人にその人だけの賜物をお与えに
なられていると気づかせてもらいました。息子は癒しの賜物をいただいていたのです。
お世話になるばかりで申し訳ないという負い目から解放された記念日でした。神さまが
息子の賜物は「癒し」だよと鈍い私に気づかせてくださった。Oさんを通して。感謝。
またまたうれしいメールを信仰の友からいただいたのです。
「神さまに特別に愛されてるあなたの宝(健さん)は、関わる周りの人達みんなの
宝なんですね。」とのこと。30年のお付き合いでいつも祈っていただいています。
誰もが気づく気づかないはあっても賜物を持ってるんですね。私の賜物、笑顔かなあ?
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