1テモテへの手紙 1章15節 イエスは、罪人を救うために世に来られた
15節
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。
イエス様は罪人を救うために来られたのは本当のこととパウロもきっぱりと言います。
私もイエス様を知る前は罪ということと自分とが結びつかなかった。法律も犯さずにと
他人事だった。我が身を振り返った時に人の眼を気にし繕い、自分が一番大事で何事も
自分中心に考え行動し人を羨んでひがんでみたりなぜ自分がと嘆く姿に気づかされた。
情けない惨めな私を神様は憐れんで下さり悔い改めに導かれ救いに預かり光の中へと。
大型連休も終り息子を通所へ送り出しました。支えず見守りながら付き添う中、一人で
歩きいつものソファに座ってバイバイサインを出し、仕事するよという表情をみせた。
自宅で体重を計る時「体重計るよ」の声掛けだけで部屋の隅の体重計に行けたのです!
言葉は話せないけど理解してる言葉が増えてきている、夫と共に神様にありがとうと。
大型連休明けを待ち、ようやく夫も内科へ行けました。鼻水や咳やくしゃみで花粉症を
疑ったものの中々咳が抜けず、肺の病もあり気になりました。風邪の症状も落ち着いて
大丈夫ですよとのこと。やれやれよかったと思ったら、心臓に雑音が聞こえてくるので
市民病院で検査を受けておきましょうということで予約をとり紹介状をもらいました。
ドイツと日本の時差は7時間で帰国後の時差ボケも息子のお陰で気が付いたら通り過ぎ
日常生活に戻っています。今日は心臓の件で不安がよぎったものの神様はいつも祈りの
課題を前に置いてくださる、だからいつも神様から離れられず祈り頼ることができると
思い頼れるお方が居て下さることで心が安らいだ。イエス様は共にそばにいてくださる。
昨日の礼拝説教の中で先生が「祈る時はどんな時でしょう?嬉しい時か苦しい時か」と
尋ねられたが、祈れることは神様に愛されていることと改めて思った。三浦綾子さんも
いつも病と向き合ってきたと言われそのままを受け入れておられた。思い煩う時は自分で
何とかしようと思い神様を見ていない時だった。こんな者でも愛されてる、うれしい!
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