kohitujiのブログ

夫は天国へ旅立ち、重複障害、最重度の息子と私の二人に。淋しさの中に神様にすがる日々。

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テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章13節 人の言葉としてではなく、神の言葉として

13節
このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから
神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として
受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に
現に働いているものです。


言葉で説明できないけれど神様に頼るほか絶望から逃れる道はないとすがり救いに預かり
気が付いたら聖書は神様が語られた言葉と受け入れていました。奇跡についてもほんとか
いや違うのではないかとの疑問は消え去っていました。神様は地上での常識では計れない
深く広い御力をお持ちです。宇宙をお創り下さったお方で今も共に居てくださるのです。
御独り子イエス様を十字架に架けてまで人類すべての人の罪赦された愛の神様なのです。



火曜日はK組会に出席しました。牧師先生のおじ様のご葬儀で、信徒だけでの会でしたが
聖書を読み讃美し兄姉たちが一人づつ祈りました。その後お茶をいただきお交わりの後、
転院後に老健へ移られたS兄のお見舞いに皆でいきました。することがないと伺ったので
自分の家にある本をそれぞれが持ち寄って行ったものの本を読む気にならないとのこと。


ご本人はまだ車椅子生活で、奥様はリュウマチを患われご自宅もバリアフリーではないし
直ぐに退院は難しいようです。神様はすべてをご存じなのでお委ねし皆で祈りあおうと。
年末に骨折されるまではお元気で太極拳をなさり、教会のご奉仕もされていたお方です。
こういう時こそ神の家族が共に神様にお知恵をいただきできるところでお支えできたら。


水曜日は聖書研究祈祷会への出席を赦されました。出エジプトでモーセの顔が輝く場面と
ルカ書でイエス様の顔が変わりモーセとエリヤが語り合う場面の2か所から学びました。
顔の輝きは神様の栄光の輝きを反映して私達の顔も輝きをいただけるのでは等と話し合い
ました。私は息子との洗礼後に罪赦され生き返った安堵で一杯で自分では見えないけれど
輝いたのだろうと思い神様の栄光の中に置かれイエス様も喜んで祝福されたと信じます。


「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」とパウロは
ロマ書14章で述べるように牢獄にいようとも恥ではなく栄光で輝いていたことと思う。 
神様だけを見上げ栄光は主にありてと御跡を歩む者でありたい、御前に切に祈ります。
新しい1日を今日もいただきました。皆様の上にも主の祝福を祈りつつ。アーメン。