kohitujiのブログ

夫は天国へ旅立ち、重複障害、最重度の息子と私の二人に。淋しさの中に神様にすがる日々。

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コリントの信徒への手紙一 15章22節 キリストによってすべての人が

22節
つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、
キリストによってすべての人が生かされることになるのです。


神様が初めて造られた人間がアダムでした。神様が食べてはいけないと言われた果実を
妻となったエバが蛇に騙され食べアダムにも勧め共に神様に罪を犯してしまいました。
この罪により人類はみな死を迎えることになったのです。神様は人類の罪を赦すために
御子イエス様を十字架に架け、死の3日後に復活させてくださった。人類の罪を赦され
神様を天の父と呼べるようになり私達も肉体の朽ちた後に死から永遠の命へ招かれる。



今年のイースターは4月21日(日)ですがイエス様のお誕生日のクリスマスのようには
定着していないような気がします。イエス様を慕う者としてはどちらも大切な日です。
一度死んだ人が甦ると言うことは信じられないことと思いますが、私もそうかなあ?と
思っていたのですが見えない力(聖霊)が働き、あっという間に疑問は消え去りました。


昨日は義姉のお見舞いに行き、夕方には息子を迎えに行く日でしたが実際に義姉に会い
家の中の動線も見ることができ安心できました。玄関からリビングやキッチン寝室への
廊下も歩行器で十分通る幅が確保されていました。義姉に「お帰りなさい」と夫と共に
挨拶したら怪訝な顔で?と。退院できたので帰宅、おめでとうって言ったと伝えました。


義姉は実際に自宅に戻ったら自分の家とは違った気がしたのかもしれません。自分が
置いたものがどこに行ったのか不安と不満がでたのでしょう。姪は病院の担当者が見に
きて許可が下りないと帰れないし、実際にまた転んだら大変なので片づけたのですが。
心配した腰の痛みは治って自分で立っていたのでよかった。後は部屋になじむことだけ。


その立場にならないと気づかないこともあるのかと。体が自由に動くうちは不安もなく
自宅でも外出でも思うままですが、歩行器での動きになった今の不安はいかばかりか。
夫も私も自宅はそのままにして高齢者ホームに入居してたまに自宅に帰ればどうかと
提案してもここで死ぬつもりと聞く耳持たない状況です。神様の最善を祈りすがります。


姪が看てくれて週2回はデイサービスに行き入浴介助を受けて過ごすとケアマネさんが
提案されているそうですが、心の平安は神様に癒していただくことではないかと思う。
人が人を救えない、神様に頼り祈っていこうと夫も言います。私達が帰るまであれも
これも見当たらない、みんな姪が捨てたと何度も夫に訴えていた。神様にすがるだけ。
神様、イエス様、義姉の悲しみ、淋しさにどうぞ手を差し伸べてください、アーメン。


PS
息子の迎えもいつもの時間に間に合い、電車の遅延もなく祈りは聞かれました。
息子も穏やかに笑顔を見せてくれています。♪神様、ありがとう!