コリントの信徒への手紙一 13章13節 最も大いなるものは、愛である。
13節
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。
神様は真の愛を持つお方。ご愛の中にある信仰と希望ともう一つ赦しも大事かなあ。
愛がなければ信仰、希望も何より赦しもない。神様のご愛は計り知れないほど深い。
人類の罪を赦すため御子を地上に贈られ十字架に架けることさえお赦しになられた。
イエス様は十字架上で隣の強盗の悔い改めを赦されたのです、愛ゆえのこと。また
「父よ、彼らをお赦しください」と、自分を十字架につけた人々のために祈られる。
いつも礼拝で主の祈りを唱える時に「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。」ここですうっと言える時と声が小さくなる時がある。
神様の御前に祈りを捧げる時、すべてをご存じのお方の前ではっきり言えるかと問い
かける。忘れていた過去がふと思い出され本気で許せてるかと心が揺らぐことがある。
でも放蕩息子を迎え入れた父のように神様は赦してくださる。母は明治生まれの姑に
仕え忍耐をもって生きている姿を見て育った私。夫を早く亡くし一人息子の父と2人で
生きてきた強い祖母だった。父は60歳で癌で亡くなり、残された祖母と母は私達が
家を出た後も変わらずに暮らし、祖母が90歳で入院した時も母は見舞い励ましていた。
祖母の入院中に母に聞いたことがある。昔厳しいことを言われたりしたのにどうして
お祖母ちゃんを大事にしてるの?くやしく思ったりしないの?母は「思い出すことも
あるけどお父さんに申し訳ないでしょ、大事にしてあげないとね」と笑って答えた。
祖母は看護婦さんに「この人が居てくれたから私は生きてこられた」と言ったのです。
母はもっと若い時に言ってくれたら良かったのにと思うけど、でもうれしかったよと。
右を向けと言われると右を向いて父にも仕えた人です。私は母のように生きたくないと
思い、時には口喧嘩もしたりして夫と向き合っています。歳を重ね心ひとつに神様に
祈りながらと願っている。母の優しさ、夫を思う気持ち、見習えたらと思うこの頃。
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