コリントの信徒への手紙一 9章22節 弱い人に対しては、弱い人のように
22節
弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。
すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。とパウロは言う。神様から喜びの
知らせを頂いた者ゆえ多くの人に伝えていきたいと願い祈る。後に続く者も同じです。
体の弱りだけでなく信仰の成長にも弱さや迷いなど皆が同じではない。向き合う人と
同じところに立って痛みや哀しみ等を共有して寄り添う中で、押し付けるのではなく
お伝えしていくと。相手を理解し愛と忍耐をもって、イエス様が仕えるために来たと
言われたように。パウロの後ろにもイエス様のご愛、聖霊が働かれていることを思う。
あっという間に今日は金曜日。一週間が早く感じるようにというか、時が過ぎるのが
早くなったように思います。地上での残り時間が減ってきてるから?でもないような。
することが前より遅くなり、その上あれをしてこれをしてといういくつもの動作を繋ぐ
鎖が途中で切れてしまったり、一つ一つを丁寧にと神様がおっしゃるのかもしれない。
夫の姉宅にリハビリ病院の退院担当の方が訪ねてこられます。自宅の様子を見て実際に
歩行器を使って生活していけるかチェックして退院許可が出るとのこと。OKが出れば
30日に姉が外泊して、よければ31日に退院となるそうで、姪が立ち合いしてくれます。
姉は自宅に帰って過ごしたい思いと、ホームに入居して暮らすのが安心かと迷いが出て
いるようです。独身なので一人暮らしは慣れていますが終の棲家はどこがいいのかと。
イエス様をお伝えできたらと夫と祈りを合わせていますが八百万の神がいいとのこと。
今日のみ言葉のように姉と同じ土俵で、弱さや不安も共有しながら否定するのではなく
話を聞いていけたらと思っています。神様はなんでもおできになる、ここに希望を置き
私達が信じているので家族も救いに預かる、聖霊が働かれるよう祈り続けていきます。
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