コリントの信徒への手紙二 10章17節 「誇る者は主を誇れ。」
17節 「誇る者は主を誇れ。」
この世の地位や学歴、名誉、財産などあっても神様の御前では何にもならない。教会は
神様の御前に、今までの罪を明らかにして悔い改めて罪を赦してもらった者たちばかり。
誇れるものなどひとつもありません。誇れるとすればこんな惨めな自分のために十字架に
架かって死んでくださったほどに愛されているということだけです。神様の身許に集う
者たちは神の家族として加えられ兄弟姉妹となり、自分の弱さを知り主を頼り祈ります。
ずっと祈っていることがあります。主人の双子の相方(妹)が姪のところでお世話になり
介護度5になって昼間はデイサービスに通っていたのですが、最近飲みこむとむせてきて
いよいよ食べると言うことさえも忘れているようだと連絡がありました。在宅で往診して
もらってるけど点滴だけでは難しい所に来てるとのこと。もう時間が無い、どうしよう。
夫と私はこの妹に神様を伝えたいと折あるごとに話をしていましたが、息子を授かり今は
私共家族全員が洗礼を受け信仰をもって幸せに暮らしていることは知っているのですが。
キリスト教系の大学だったので妹も讃美歌は歌ったりしてたと夫は言いますが独身のまま
自由に海外旅行や山登り等この世の楽しみで忙しく、骨折入院後に認知症になりました。
今は会話もできず目も虚ろです。でも神様ならなんでもおできになる。諦めず祈り続けて
見送りたいと思っている。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も
救われます。」このみ言葉を握っています。妹がどうか神様を信じてくれますようにと。
この世に生を受けたらいつか死がやって来る。誰一人避けることはできない。イエス様を
信じる者として「はい」と従う。肉体は朽ちるけど神様にいただいてる永遠の命は天に
帰ることができます。ここに決して消えない希望があります、妹に伝えたい、祈ります。
愛してやまない息子とも天国で語り合えることを大切に楽しみにしています。アーメン。
今も病に苦しんでおられる方やご家族の上に神様のお癒しとお慰めをお祈りしています。
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