コリントの信徒への手紙二 2章14節 キリストの勝利の行進に
14節
神に感謝します。神はわたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせわたしたちを
通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。
イエス様は巧妙なサタンの誘惑にしてもすべてに勝利なさるお方です。イエス様を先頭に
主に繋がる者たちは共にみ跡を歩ませていただけます。聖日に教会へ向かう時にも行進し
キリストの香りを通り道に、道行く方々に、漂わせながら歩みます。イエス様がご一緒に
歩まれる、なんという幸い。たとえ足が弱っていても、イエス様の行進に加えられます。
昨日は息子の精神科に処方箋をいただきに行ってきました。予約制で多くの方が来られて
いつも込み合います。息子が小さい時から脳波の件などでも、お世話になっていましたが
この頃は若い男性の方だけでなく高齢の方も多く来られています。精神科のハードルが
下がってきたり心の病もオープンになったからなのか。教会の扉もぜひ、と祈ります。
この所、ずっと心にあるのは心愛ちゃんのこと、もしかしたら第2第3のお子さんが声も
出せずに今もこの時も一人で泣いてるのではと思ってしまう。学校や児童相談所、役所も
もっともっと子供の立場になって危機感をもって当たってくれたらと残念でなりません。
こういう事件が起きるたびに泣き声や怒鳴り声が聞こえた、とご近所の方の声が出てきて
何故、聞こえた時に交番とか学校とか児童相談所とかに電話をしてくれなかったのかと。
匿名でもいいのにと思う。心愛ちゃんの友達も痣を目にしたら親や先生に伝え大人たちも
動いてほしい。自分がこんな声を近所で何度も聞いたら学校や相談所に電話で伝えます。
子供が困った時に頼れるはずの父母が味方どころかいじめの側にいる、それも母親まで。
前に橋の欄干から母親に落とされた女の子のこと、今も思い出します。落ちる時に彼女は
誰に「助けて」と言ったのだろうか、胸がつぶれます。近所付き合いも希薄になってきて
つかず離れずではなく無関心になっているのか。尊い命を親が奪う、この現実はつらい。
自分にできることはと問いかける。必ずあるはず。心愛ちゃんの死を無駄にしてはダメ。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。