コリントの信徒への手紙二 1章10節 神に希望をかけています。
10節
神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、
また救ってくださることでしょう。
これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。
苦しみの中で生きる望みさえ失い死の宣告を受けた思いだった。こんな自分を頼るのでは
なく、なんでもおできになる神様を頼ることだと気付いたのです。今までを振りかえれば
もうダメかという時にいつも神様は守ってくださった。これからも救いに入れて下さる。
ここにたどりつき絶望から希望へとかえられた。苦しみを通り神様のご愛を知りました。
「苦しみに会ったことは私にとって幸せでした」詩編119編71節(新改訳)夜になると
また朝がきちゃうと苦しくなったり、息子を抱え生きることがつらくなった時が、私には
必要だったと後になって知りました。自分は何もできない、神様にすがろうと助けを求め
信仰をいただいた。息子は神様のご用のために生まれた、いじけないでいいとわかった。
街に出て周りの大人や子供の目がじっと息子に向けられても怖くなくなった。歩行訓練を
受け一生懸命に歩こうとする息子が誇らしく思えた。神様が息子を愛し命を守られた。
気が付いたら世の中の価値観と180度変わっていた。実母も顔が変わったねと喜こんだ。
以前聞いた話、ボートは後ろ向きで漕ぎ過去は見えるけど未来は見えない。神様だけが
生れる前、母の胎に居る時から天に帰る日までもすべてをご存じ。いつ神様に呼ばれるか
わからないけど、いつもマリアのように「はい、従います」と後ろを振り返らず神様に
ついていきたいと祈る。地上の日々、息子と共に過ごす日々が愛おしく思われ感謝のみ。
義姉はMRI検査で骨折と判明し入院でした。不安な中に居ると思う、神様に頼って祈り、
神様の時を待ちます。神様のご計画ノートをそっと見たいと思いましたがダメダメともう
一人の私が止めている。自分は何もできない、弱い者だと気づいて欲しい。今まで頑張り
生きてきた義姉、望みのまま生きてきた人。戸を開けたら神様は戸の外におられるのに。
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