葬儀を終え、再会の希望を握りしめて歩む日々。
ヨブ記1章21節
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。」
夫は裸で生まれて、何も持たずに神様の許に帰っていった。神様に「おいで」と言われて
私や娘や息子を残し素直に従った。教会の兄姉や会社の方々や囲碁のお仲間が来られた。
イエス様が伴って御国へ引き上げてくださり今は涙も苦しみもないところに居る。79歳
まだまだこっちに居てもいいのにと思うけどすべて神様の時、安らかな表情に安堵した。
娘がドイツに帰り、次の週には息子がホームから自宅で土日過ごして昨日、通所へと送り
いつもの生活が始まった。弟が初めての一人暮らしだなあと心配してくれたけど夫が共に
居てくれる気がしていつも話しかける。「そっちは居心地いいでしょ」答えはないけれど
目が笑ってくれた。私も早く天国に帰りたい、息子も共にと。慌てなさんなと聞こえた。
不思議なこともあった。葬儀後の翌朝、「千の風になって」の歌が聞こえて目が覚めた。
歌ったことはなかったのに、私のお墓の前で泣かないでください。私はそこには居ません
とのこと、夫のメッセージでは?と思った。遺骨は十字架がついた黒い箱で夫の机の上に
置かれている。朝となく昼となく夜となくいつも夫と会話している。天国の約束を感謝。
神の家族の先輩未亡人や友から「泣きたいときはうんと泣きなさい」とお便りや電話が。
家の中、キッチンもリビングもすべての所に夫の姿が残っている。夫の机はいじれない。
この世の事務処理に追われ役所やクレジットカードの解約など、まだ泣く暇もないほど。
神様が地上のご用を下さり心を鎮める時をお与えくださっている、そんな気もしてきた。
葬儀に来られた方やお世話になった方へのお礼状も手付かずだけど、神様に祈りながら
ゆっくりこなしていけばと思う。どうしようかと思う時、いつも夫だったらと考えると
答えがもらえる。天国での再会をとってもとっても楽しみにして、「がんばってきたよ
やっと会えたね」と喜びあえる。信仰と希望を頂き神様、イエス様に心から感謝です。
お祈りくださってる皆様、ありがとうございます。
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