kohitujiのブログ

夫は天国へ旅立ち、重複障害、最重度の息子と私の二人に。淋しさの中に神様にすがる日々。

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夫の愛唱歌からのメッセージ。

聖歌 472 人生の海の嵐に


①人生の海の嵐に  揉まれ来しこの身も
  不思議なる神の手により  命拾いしぬ
 いと静けき  港に着き  我は今  安ろう
 救い主イェスの手にある  身はいとも安し


②悲しみと罪の中より  救われしこの身に
  誘いの声も  魂  揺さぶること得じ
 いと静けき  港に着き  我は今  安ろう
 救い主イェスの手にある  身はいとも安し


③凄(まじき罪の嵐の  弄ぶまにまに 
死を待つは誰ぞ  直ちに  逃げ込め港に 
 いと静けき  港に着き  我は今  安ろう
 救い主イェスの手にある  身はいとも安し



夫が天国に帰ってからもうじき1か月。名義変更手続きやカード会社への連絡等々あり
忙しい日々を過ごし、確定申告も控えていてまだまだ哀しむ暇もないけれどさびしい。
亡くなったことを友人にお伝えした時に「器用な生き方ではなかったけど珍しいくらい
裏表のないお人柄で信頼できる方だ」と言われ不器用なまま身許に帰れてよかったと。


夫は入社以来、退職まで37年間コンピュータ―関係の仕事一筋でした。以前集っていた
キリスト教会での聖歌のリクエストは「人生の海の嵐に」が多かったです。会社生活は
夫にとっては嵐のような日々だったかと今になって思います。日曜の礼拝で御前に出て
主に祈り賛美を捧げお癒しと慰めを頂いていたのでしょう。今はイエス様の身許です。


夫が天国に帰ったけどまだ実感がわかない。夫の写真に向かってそっちはいいでしょ。
私も早く行きたいと思わず言ってしまう。息子が居るので行くわけにはいかないけど。
でも思う、夫ではなく私が先に逝ってしまっていたら夫と息子がかわいそうだと思う。
残る側は悲しい、つらい。だからこれでよかったんだ。神様がお決めになられたこと。


今日、息子の通う通所の家族会会長さんから電話があった。お悔やみのご挨拶をされて
もうお一人、ご主人を失くされた方が居たことを知った。夫より2日後だとか。親たちも
そういう時代になってきていることを思う。思えば毎年、このところ障害を持つ子を残し
亡くなられ家庭で見ることができず施設や病院に行く方も増えている。親も高齢化の波。


神様に祈るだけ。先に逝った親も残された親も、子供のことが気がかりなはず。なんとか
幸せに生活していってほしいと願い祈ります。自分の思いを口にできない子たちの上に
神様からのお慰めとお守りがありますようにと。施設などに入所される方もいます。
みんなが穏やかに暮らせる世の中であってほしい。神様に祈り続けます。アーメン。