kohitujiのブログ

夫は天国へ旅立ち、重複障害、最重度の息子と私の二人に。淋しさの中に神様にすがる日々。

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弔いの家か、酒宴の家か?

コヘレトの言葉 7章2節
弔いの家に行くのは/酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。
命あるものよ、心せよ。


葬儀に行くと人間は必ず死の時を迎え誰も避けることはできないと認めざるを得ない。
死に直面して人生を考える。悲しみに目を向けず蓋をして酒宴の席で紛らわせてみても
真の平安は訪れない。自分の力で悲しみから立ち上がることが出来ずに倒れこむ時にも
神様は私たちと共におられ涙をぬぐい立ち上がらせてくださる。慰めをくださるお方。


土日はホームから息子が帰宅してくれるのでリビングに活気が戻ります。何も語らない
息子だけど柔らかなやさしい笑顔を向けてイエス様からの元気パワーを届けてくれる。
夫の遺影を見ることはないけど、神様からすべてを伝えてもらっているはず。夫亡き後
息子は変わりました。イエス様に支えてもらい私を慰めに来てくれてることを感じる。


日曜礼拝も夫のいた時は息子の体調が良ければいつも夫が留守番役を引き受けてくれて
「恵みをもらってきてね」と行かせてくれた。随分礼拝に行っていなかったと気づく。
でも第4日曜の夕拝には息子に夕方、ホームに帰ってもらい夕礼拝出席をさせてもらう
ことにした。月一回の礼拝、それも神様からの贈り物。夫も天国で喜んでくれるはず。


今もまだ夫が天国に帰ったのを忘れて「ねえ、これどうしよう」と夫に話しかけたり。
一人で息子をみながら食事の支度などする時にも夫が居てくれたらと思う。いかに夫が
支えてくれていたか、今になってもっと感謝の言葉を言えばよかったと後悔している。
夫のありがたみが分かったかいと笑っていそう。会いたいなあと思う。天国で再会だ!