kohitujiのブログ

夫は天国へ旅立ち、重複障害、最重度の息子と私の二人に。淋しさの中に神様にすがる日々。

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コロナウイルスが去っても、命には限りが。

詩編31章6節
まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。



コロナウイルスは人から人へと巻き込んでいく厄介な菌でその上、自分が罹ったかどうか
すぐにはわからないし不安を掻き立てる。薬も不確かで亡くなられる方もおられるし
1日も早い終息を願います。自粛し生活も不自由になりこの生活から解放されたら自由に
なれると1年先に期待を寄せています。でもコロナが終わってもいつかは命も終わる。


地上での命は限りあると改めて思いました。終息で万々歳、自由にあちこち行けて友にも
会える。でも自分の命の終わりをご存じなのは神様だけ。夫の突然の死をそばで見ていた
者として改めて生きることと共に死を考える時をいただいた気がした。コロナは罹らずに
すんでるが死は突然やってくることもある。夫の物を整理しながら自分の終活もと思う。


手始めにエンディングノートを用意して書き記していこうか。まずは片づけから始めて。
ちょうど今がチャンス!外に出ないので捗るはず。神様は次々に導いてくださる方です。
夫も私がすることがあるので喜んでくれているかな。何もせずに先に逝ってすまないねと
聞こえてくる。会いたいなあ、今は辛抱辛抱、天国に帰ればずうっと一緒!楽しみだあ。


前にも紹介させていただいたけど「最上のわざ」という詩があります。老いていくことを
このように受け止めていけたらと願います。老いてから召されるというのは今までできた
ことができなくなりそれを認めなければならず、神様に祈りながら納得していくのかも。
天国で夫が待っててくれると思うと励まされます。天国は涙もないところだそうですし。



「最上のわざ」


この世の最上の業は何
楽しい心で年をとり働きたいけど休み
しゃべりたいけれども黙り失望しそうな時に希望し
従順に平静におのれの十字架を担う
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのをみてもねたまず
人のために働くよりも謙虚に人の世話になり
弱ってもはや人のために役たたずとも
親切で柔和であること
老いの重荷は神の賜物
古びた心にこれで最後のみがきをかける
まことのふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐ鎖を
少しづつはずしていくのはまことにえらい仕事
こうして何も出来なくなれば
それを謙虚に承諾するのだ
神は最後に一番良い仕事を残してくださる
それは祈りだ
手は何も出来ないけれども
最後まで合掌できる
愛するすべての人の上に神の恵みを求めるために
すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声を聞くだろう
「きたれ 我が友よ 我汝を見捨てじ」と


ヘルマン・ホイヴェルス『人生の秋に』より